一題噺「大仏」

こんにちは。

今日6月11日(月)に、一題噺と銘打って、くじを引いて決めた「大仏」という言葉を使うことを共通のルールとした創作活動を行いました。
10作品弱が提出され、合評も行いました。
作品は夏号で発表する機会があるかもしれませんので、その際はまた報告させていただきます。

会自体は1年生も大勢参加してくれて、活発な会になったように思われます。
次があれば、また違った趣の創作会を行ってみたいと思っております。



今週の活動は他にも、読書会「夢十夜」や、短歌会が予定されています。
サークル室での、活発な日々が続きそうですね。

2年 灯子

『魔法使いハウルと火の悪魔』

こんにちは。 2年の灯子と申します。

5日18日に、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ著「魔法使いハウルと火の悪魔」で読書会を行いました。

この作品は、少女のロマンスと自己肯定を軸にしたファンタジー小説で、くせの強い登場人物とストーリー展開が特徴と言われています。
特にストーリーについては、謎が解かれて主要登場人物二人が結ばれるラストについて、初読時にはあまりの急展開に理解できなかった、という人が多かったです。
私もその一人なのですが、とりわけ二人が結ばれる経緯は細やかな伏線が巡らされており、一読した後に憶測を飛ばしながら読み直すと、新しい発見が多く、なかなか楽しいと思います。

会では作品の魅力的なところや登場人物語りに終始してしまいましたが、会が終わってから考えると、他にも話したいことはたくさんあったように思えます。
また、進行もつたなく、開催にあたっての準備不足を反省しております。
しかしやはり、好きな作品について思うことを話せるという会は素敵だなとも思いました。
今回の課題を次回へ繋げ、また楽しい読書会を行いたい、と思っております。

参加者の皆さま、お疲れさまでした。

以上で、読書会の報告とさせていただきます。


2年 灯子

『やまなし』

 どうもこんにちは。
 このブログではお初にお目にかかります、文学部2年の水無月朔と申します。
 
 去る4月23日に宮沢賢治の童話『やまなし』の読書会を行いました。
 実を申しますと、私は今まで読書会を主催したことがありませんでしたので、今回が初めて自分が主催する読書会であり、若干の緊張を覚えつつの進行でありました。
 当日は多くの新入生にも参加していただき、約1時間半、『やまなし』や賢治について語り合いました。
 
 今回の読書会で扱った『やまなし』ですが、小学生のころに教科書に載っていて覚えているという人も多いのではないでしょうか。(実際私もそうですし、今回の参加者の方の中にもそういう方がたくさんいました)
 『やまなし』というタイトルだけではピンとこなくとも、「クラムボンがかぷかぷ笑う話だよ」と言えば思い出す方も多いでしょう。
 小学生のころの私は、「クラムボンは泡だ!」と断言していたように記憶しております。(まったく幼いころの根拠のない自信というのはいったいどこからやってくるのでしょうね?)

 さて今回の読書会では、「クラムボンはキリストだ」という想像力豊かといいますか、突拍子もないといいますか、とても面白い意見も出ました。
 また、作品全体に死の香りがするという意見や、むしろ生と死の対比が描かれているという意見、童話なのに教訓めいたことがないという指摘、幻燈を見ているという体裁なのだから教訓めいたことがたとえあったとしてもそれは教訓として機能しないという意見など実に様々な意見が出ました。
 結局のところ、クラムボンはなんなのかは謎のままですし(むしろわかる方がちょっとおかしい?)、賢治が何を描きたかったのかという答えも出ませんが、これだけの短い話が読者に強烈な印象を残しているというだけでも素晴らしい作品なのではというところに落ち着きました。(読書会っていつもこんな感じか?)

 今回の読書会は新学期が始まってから2回目の読書会だったわけですが、現在告知されている読書会はまだあります。
 カフカの『橋』の読書会と、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの『魔法使いハウルと火の悪魔』の読書会です。
 それぞれどんな読書会になるのかを楽しみにしながら、今回はこれで終わりたいと思います。
 ありがとうございました。
水無月朔)

『舞姫』

お久しぶりです、…です。

今回は先週の月曜日に行われた読書会についての報告をさせていただきます。

たくさんの新入生に来ていただきました。

参加者のみなさま、ありがとうございました。

先週行われたのは国語の教科書に掲載されていることでおなじみの、

森鴎外の『舞姫

での読書会でした。

それぞれの登場人物への感想から、『舞姫』は実は○○だったのではないか、という論まで、感じたことは様々だったようです。

そういった話が聞ける、言えるのは楽しいことだと思います。

教科書に載っている作品だからと言って色眼鏡で見てはいけないみたいです。

三題噺(4月6日開催[3])

こんにちは。 

前回に続いて、先日の三題噺で提出されたもので公表してもいいという方の作品を一つ紹介させていただきます。


「目薬」「レッドブル」「マグカップ


 キッチンの方から、陶器の割れる音がした。箱買いしたレッドブルダンボールに腰かけていた彼女は、特に驚きもせず立ち上がってキッチンへ向かい、すぐに真っ二つになった赤いマグカップを手に戻ってくる。
「これが例の?」
 ぼくが問うと、深妙な顔で彼女が頷いた。
ポルターガイスト。悪戯者で困るよ」
「怖くないんですか」
「別に。敢えて言うと、どうせいわくつきの部屋に住むなら、『赤い部屋』の隣だったら良かったのに」
 赤色が好きなんだ、と言って笑う彼女を見て、ぼくは曖昧な笑みを返すしかなかった。
「実際に赤い部屋があるとしたら、のぞき穴から目薬をさすぐらいのことはしてみたいね」
「そしたら赤くなくなるのでは」
「それもそうか」
 納得されても困る。でも、指摘されて赤面した彼女の横顔が意外にも普通の女の子らしいことに気付き、ぼくは今度こそ心から笑った。

三題噺(4月6日開催[2])

こんにちは。

前回に続いて、先日の三題噺で提出されたもので公表してもいいという方のものを紹介したいと思います。



『旅の道連れ』


 羽田裕との付きあいは今年で三年になる。元々沖縄に行きたいと言うことで意気投合した私達だったが、それにしては長い付き合いだったと思う。普通ならば一回行けば終わりの付き合いなのに、私と羽田は何度も沖縄に行った。羽田は沖縄の青い空を、赤い宮殿の瓦を、緑のさとうきびを愛し、私は海の青を、宮殿の歴史を、さとうきびの悲劇を心に刻んだ。簡単に言えば、私と羽田は沖縄が大好きだった。
 羽田は沖縄のことを何も知らない。一方私は沖縄の知識だけは豊富だった。羽田はシーサーを知らなかった。だから私はドヤ顔でシーサーのことを教えた。羽田は海ぶどうを知らなかった。私はその旨さを言葉で伝えた。じゃあ食べに行こうと羽田が言った。私は羽田が大好きだった。
 何かがおかしいと思いはじめたのは昨年の夏のことだった。羽田はいつものように沖縄へ出かけた。ただし、今回は私とではなかった。私の知らない誰か。その女(ひと)と一緒に行ってしまった。
 独白する。私は地図だ。沖縄を紹介する観光用地図だ。
 見られなくなった地図は存在意義を失う。つまり私は――もはや不要物、つまりゴミなのだ。
 その女(ひと)は私より細くスマートな電話(フォン)だった。私は棚の中で泣いた。普通ならば一回の旅行で捨てられる娼婦だったはずの私が、三年も生き永らえたのがむしろ間違いだったのだ。だから余計に悲しいのだ。なまじ期待などさせるから。

 だが羽田は今日、久々に私を手に取った。私のほこりをやさしく払ってくれた。私は信じた。彼が私のことを愛してくれるのだと。

 そして羽田は私を宙に放り投げ、私はゴミ箱におさまった。それがつい一時間前のことである。

三題噺(4月7日開催)

4月7日に三題噺をやらせて頂きました!

参加していただいた皆さん、それから作品を読みに来てくれた皆さん、

ありがとうございました!


今回のお題は

A:「シーサー」「地図」「宙」

B:「マグカップ」「レッドブル」「目薬」

でした。

今回は6編の作品が集まりました。

その中で公表してもいいという方の作品を一つ紹介させて頂きます!






『やっつけ仕事』



 物語の核心はマグカップにある。僕はマグカップから生まれそしてマグカップへ死んでいく。死ぬときに人は何を考えるのだろうか、何も考えないのかもしれない。僕の祖母がマグカップの中で死んでいくのを見ながら僕はそんなことを思っていた。「そんなことをきっと、考えていた」考えていなかったのかもしれない。きっと、だし。僕は生き返るようにとレッドブルを祖母に注ぐ。祖母は干からびている。本当はロートの目薬なんてつけてあげたかったのだけれど元に戻らないだろうし、それだったら生前祖母が好きだった酒に漬けてやりたかったのだけれど医者にかたくとめられて、合間のレッドブルだ。僕は動物でいう下半身がない。別に僕が病気や事故に遭遇してしまったかわいそうな生き物なのではない。僕はスプラッタじゃない。じゃあ僕は何者なのか。僕はマグカップに寄生している。ただの蝸牛だと思っていればいい。ヤドカリでもいい。僕はマグカップから逃げることもできない。マグカップマグカップうるさくなってきたが、実はこんなことどうでもいい。非常に人間じみた生き物であることは自覚している。怠惰だし、ロマンチストだ。僕は祖母が死ぬのを見ながら祖母が羨ましいと思っている。なんて言う贅沢! 最低だ、知っている。僕はそもそも最低なんだ。この告白だって紙に認めてそのまま朽ち果てていこうと思っている。マグカップに水を注がれなければ干からびて死ぬだけだ。僕は、干からびて死ぬだけの人間だ。いいのだ、それで。祖母の目はもう僕を見ていない。僕はもうすでに祖母に見限られた。それが心地よくもあった。僕は着たいがどうにもダメだった。ただ漠然と濡れた蒲団のような重みを背負わされている。
 僕はマグカップに懲りもせず死ぬために酒を注ぐ。
 祖母はずっと、生きるためにレッドブルを注いでいる。
僕はきっと死なないだろう。「死ぬ」ことが記号化するくらい死とは僕からほど遠い。憧れでしかなく、しかし焦がれ溺れながら、僕は静かに死へと向かっている。