三題噺(4月7日開催)

4月7日に三題噺をやらせて頂きました!

参加していただいた皆さん、それから作品を読みに来てくれた皆さん、

ありがとうございました!


今回のお題は

A:「シーサー」「地図」「宙」

B:「マグカップ」「レッドブル」「目薬」

でした。

今回は6編の作品が集まりました。

その中で公表してもいいという方の作品を一つ紹介させて頂きます!






『やっつけ仕事』



 物語の核心はマグカップにある。僕はマグカップから生まれそしてマグカップへ死んでいく。死ぬときに人は何を考えるのだろうか、何も考えないのかもしれない。僕の祖母がマグカップの中で死んでいくのを見ながら僕はそんなことを思っていた。「そんなことをきっと、考えていた」考えていなかったのかもしれない。きっと、だし。僕は生き返るようにとレッドブルを祖母に注ぐ。祖母は干からびている。本当はロートの目薬なんてつけてあげたかったのだけれど元に戻らないだろうし、それだったら生前祖母が好きだった酒に漬けてやりたかったのだけれど医者にかたくとめられて、合間のレッドブルだ。僕は動物でいう下半身がない。別に僕が病気や事故に遭遇してしまったかわいそうな生き物なのではない。僕はスプラッタじゃない。じゃあ僕は何者なのか。僕はマグカップに寄生している。ただの蝸牛だと思っていればいい。ヤドカリでもいい。僕はマグカップから逃げることもできない。マグカップマグカップうるさくなってきたが、実はこんなことどうでもいい。非常に人間じみた生き物であることは自覚している。怠惰だし、ロマンチストだ。僕は祖母が死ぬのを見ながら祖母が羨ましいと思っている。なんて言う贅沢! 最低だ、知っている。僕はそもそも最低なんだ。この告白だって紙に認めてそのまま朽ち果てていこうと思っている。マグカップに水を注がれなければ干からびて死ぬだけだ。僕は、干からびて死ぬだけの人間だ。いいのだ、それで。祖母の目はもう僕を見ていない。僕はもうすでに祖母に見限られた。それが心地よくもあった。僕は着たいがどうにもダメだった。ただ漠然と濡れた蒲団のような重みを背負わされている。
 僕はマグカップに懲りもせず死ぬために酒を注ぐ。
 祖母はずっと、生きるためにレッドブルを注いでいる。
僕はきっと死なないだろう。「死ぬ」ことが記号化するくらい死とは僕からほど遠い。憧れでしかなく、しかし焦がれ溺れながら、僕は静かに死へと向かっている。